Carl Zeiss(カール・ツァイス) って人の名前って知ってた? その歴史も含めてちょっぴり研究してみた

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ジャンクカメラの中でもカールツァイスやツァイスイコンのジャンクが好きな、ジャンカメハンターのぐりやんです。

さて皆さんカールツァイス をご存知でしょうか?写真をやっている人は一度は聞いたこと有ると思いますし、SONYのコンデジやエクスペリアを使っている人ならすでに持っていますよね?
そうです、カールツァイスといえば憧れのカメラ用レンズとして有名ですよね。現在ではブランド名としてはZEISS(ツァイス)となっていますね。

拙者が所有するの主なCarl Zeiss交換レンズ又はレンズ付き製品 

カールツァイス をカメラのメーカーだと思っている方もいるかもしれませんが、カールツァイス はカメラは作っていません。(実はイエナコンタックスとウェラだけ作ってますw)
そしてカール・ツァイスというのは人の名前に由来するのです。

カール・ツァイス

ZEISS Microscopy from Germany, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

フルネームはカール・フリードリヒ・ツァイスと言います。1816年生まれです。
カールツァイス は、1846年カール ツァイス イエナという小さな顕微鏡工房を設立して、製品をイエナ大学に納入していました。

エルンスト・アッベ

Universitätsbibliothek Heidelberg, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

フルネームはエルンスト・カール・アッベ。カールツァイスは創業から20年後の1866年顕微鏡の高性能化を目指し、イエナ大学教授のエルンスト・アッベの協力を得ることになります。実はこの人こそ凄い人で非分散光学ガラスを開発したり光学ガラスの分散値を数値化したアッベ数を示したり、44種もの光学ガラスの特性をチャート化するなど、光学ガラスの基礎を研究・確立していった人物です。ガラスに色々な混ぜ物をして特性を調べていったんですねぇ。アポクロマートを発明したのもアッベだそうですよ。1875年にはアッベを共同経営者として迎え入れました。

オットー・ショット

SCHOTT AG, Andrea Würzburger, Marketing and Communication, Hattenbergstrasse 10, 55122 Mainz,
CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons

1879年アッベはフリードリッヒ・オットー・ショットと知り合うことになります。オットー・ショットは光学ガラスであるイエナガラスを開発した人です。1884年カールツァイスの共同経営に参画し1919年には全株をカールツァイス 財団に移し財団の一員となりました。
現在のショットガラスは光学ガラス以外も作っています。その名を聞いたことある方もいるのではないでしょうか?現在ではガラストップコンロなどにも使われていますよw

この三人が同じ時代に同じ地域にいたのは奇跡でしょうかね。でなければ現在のカールツァイスは存在していないでしょうからね。
アッベを迎えた後のカールツァイス の顕微鏡は徐々に高性能化していき、ヨーロッパ全域やロシアに輸出するまでになっていたようです。

エルンストアッベの経営手腕とカールツァイス財団の誕生

カールツァイスは1888年に永眠しました。そしてカールツァイスイエナ社の経営はエルンストアッベが担うことになります。
アッベは1889年カールツァイス財団を設立します。そしてカールツァイス社は個人所有の会社ではなく財団が所有する会社となるのです。
アッベは優れた科学者でありましたが、のちに優れた経営者とも呼ばれる事になります。

パウル・ルドルフと写真用レンズの開発 テッサーの誕生

その後カールツァイスイエナ社はパウル・ルドルフを迎えて写真用レンズの開発に着手することになります。そしてパウル・ルドルフは名レンズであるプラナーを1897年(127年前)に発明し、その後1902年(122年前)、エルンスト・ヴァンダースレプと共にテッサーを発明することになります。このテッサーの発明によりカールツァイスイエナはカメラ用レンズ界の中心に君臨する事になるのです。
そして1906年テッサーの貼り合わせた後玉のデザインがCarlZeissのロゴ(いわゆるレンズマーク)になります。

カールツァイス イエナが1906年から使用していたロゴ。右はテッサーのレンズ構成図
貼り合わせた後玉がロゴマークのモチーフになっていることが解ると思う。
Mliu92, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

第2次世界大戦と二つのカールツァイス

カールツァイスのレンズ銘板は、第二次大戦以前はCarl Zeiss Jenaと表記されているものがほとんどだと思います。Jena(イエナ)というのは元々Carl Zeissが顕微鏡工房を起業した地で、その後は写真用レンズの工場があった場所の地名です。ドイツのカメラメーカーは地名を入れているものが多いですね。かのライカを作っている会社もErnst Leitz Wetzlarとなっていまして、ウェッツラーは地名ですね。

さて、ドイツが2次大戦で分割された事はご存知でしょうが、Carl Zeiss Jena創業の地イエナは東ドイツ側に位置していました。戦後のドイツは、西ドイツと東ドイツに別れてしまうわけですが、それに伴いCarl Zeissも東側と西側(東ドイツのJenaと西ドイツのOberkochen:オーバーコッヘン)に別れる事となり、戦後は「二つのCarl Zeiss」と言われる時代になります。

1946年の Zeiss Oberkochen Aiver1986, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

カールツァイス が二つに別れた後も1953年頃までは東西Carl Zeissは連携し続けていたようです。同様にカメラメーカであるZeissIkon社も東西に分かれたのですが、戦後西側のZeissIkonのカメラ製品に東側のCarl Zeiss Jena製のレンズを搭載したものが見られます。
1952年には東西ドイツの国境が封鎖されましたから、この頃を境に東西カールツァイス は完全に分断されてしまったと言えるでしょう。その後もベルリンで市内では往来が自由でしたが1961年突如としてベルリンの壁が建設され東西ドイツは完全に分断されました。

1990年VEB Carl Zeiss JENA Felix O, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

戦後から東西ドイツが再統一される1990年までの時代ではレンズの表記は色々なものが存在します。戦前と同じCarl Zeiss Jenaのモノや、Carl Zeiss Jena DDRと書いてあるモノ(DDRとはDeutsche Demokratische Republik:東ドイツ)その他C.Z.Jenaと書いてあったり単にJenaだけの表示のもの、aus JENA、(ausは英語でいうとfromです)これらはイエナがある東ドイツ製です。
西ドイツ製は主にZeissOpton(OptonはOPTik OberkocheNから取った造語で西側のCarlZeissです)と表記されているものがほとんどですがCarlZeiss表記のものも見られます。この件については戦後の色々な理由がございますので興味がある方は調べてみてくださいね。

そして二つのツァイスはCarl Zeissという商標をめぐる国際裁判をへて、1972年、西側諸国では西ドイツのカールツァイスが「Carl Zeiss」を東側のカール・ツァイスが「Carl Zeiss Jena」を名乗り東側諸国では東側のカール・ツァイスが「Carl Zeiss」を、西側のカール・ツァイスが「Carl Zeiss Opton」を名乗るというネジレ状態になったのでした。

ZEISS IKONの終焉と新たな提携先

西側Carl Zeiss(Opton)の主なレンズ供給先であったZeiss Ikon(Stuttgart)はHologon ultrawideというカメラを最後に1971年にカメラの生産から撤退ました。原因は日本製のカメラの台頭による経営不振だったと言われています。

そしてレンズの供給先を失ったカールツァイスは、1974年に我が国のヤシカと提携することになりました。その提携後ヤシカから発売されたのが、CONTAX RTSだったのです。

CONTAX(YASHICA) RTS と Carl Zeiss Planar 50mm F1.4

ですから、ヤシカと提携したカールツァイスとは西ドイツのカールツァイス(オプトン)だった訳で、西側経済圏で有る日本で発売されたため、レンズ銘はCarlZeissだったわけですね。

その後1989年から1990年にかけて東西ドイツは再統一される事になりました。
この時点では東西の経済格差は相当な差となっていたようで、東側のカールツァイス(イエナ)は経営難となっていたらしく西側のカールツァイス(オプトン)が東側のカールツァイス(イエナ)を吸収する形となったそうです。イエナにあったカールツァイスの一部はイエナオプティックとして現在でも存続しています。現在ではカメラのレンズは手がけていませんが、世界有数の光学機器メーカーで有ることに変わりはないようです。

余談ですが東西ドイツ再統一以降、製品につけられるロゴが青地に「ZEISS」のロゴになりました。
現在のロゴになったのは1997年から。

現在のZEISSロゴマーク

2013年以降発売の製品からは、すべての製品のすべてのラベルに ZEISS ロゴを一貫して使用することが決定されたようで、以降の製品はレンズ銘板に入るブランド銘も「CarlZeiss」ではなく「ZEISS」になっていますね。拙者的にはCarlZeissの方がカッコいいと思うのですが…

レンズの表記の変遷

戦前:Carl Zeiss Jenaのモノがほとんどです。

1934年製 Super Ikonta 530 と Carl Zeiss Jena Tessar

戦後はドイツ分割統治時代から東西ドイツの時代には色々な表記のものが存在します。
東側:Carl Zeiss Jena、Carl Zeiss Jena DDR、C.Z.Jena、Jena、aus JENA など
西側:Opton、Zeiss Opton、Carl Zeiss など
(Carl Zeiss Opton銘については見た事無いので存在は不明)

東西再統一後はCarl Zeissのモノがほとんどです。

はっきりと区別はできませんがJenaが付けば戦前ドイツもしくは東ドイツ製、Jenaが無ければ西ドイツもしくは再統一後のドイツ製ということが言えそうです。

その後の製品、YASHICA/CONTAXマウントの物はヤシカ製(一部:富岡光学製またはドイツ製)およびコシナ製のZM、ZF、ZEマウントの製品などはCarl Zeissとなっております。

そして現在の製品は、全て日本製と言われており、コシナやタムロンなどが製造していると言われています。ブランド名は2013年以前はCarl Zeiss表記で、その後は現在に至るまでZEISS表記となっています。

まとめ

カールツァイスは現在ではカメラ用のレンズとして憧れの存在と言えますが、元々はカールツァイスという人物が興した顕微鏡工房が基なのです。その後エルンストアッベの経営手腕とオットーショットの光学ガラスそして偉大なレンズ設計者を得て、写真機用のレンズを開発製造し世界有数のカメラレンズメーカーと言われるまでになったのでした。

ドイツでは戦後の分断、そして再統一という歴史があったのですが、カールツァイスも戦争のに翻弄されて製造、表記などいろいろなものが存在します。
そして現在ではすべての生産が我が国日本というのも興味深いと思います。

ぐりやん
ぐりやん

最後まで読んでいただき感謝です。
これらの歴史あるCarl Zeiss製品を手に入れて、当時に想いを馳せながら一杯やるのも良いと思いますよw
ちなみに拙者は「芋焼酎」派です。ま、アルコール全般が好きなんですけどね。

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