ジャンカメハンターのぐりやんです。
本日は謎のレンズ「NOVAR-ANASTIGMAT」が気になったので調べてみた結果分かったことを、そこはかとなく書きつくります。あやしうこそもの狂ほしけれw
素性がわからないNOVARという謎のレンズ
NOVAR-ANASTIGMATというレンズ。聞いた事ありますか?
NOVERは3群3枚構成のレンズ、いわゆるトリプレット構成のレンズでございます。
トリプレットレンズは、1890年代にイギリスのデニス・テイラーによって発明されました。
それ以前のレンズ研究者はザイデルの5収差を補正するために、色々な特性のレンズエレメントを貼り合わせることによって5収差を補正したレンズ(アナスチグマット)を開発しました。
しかしトリプレットレンズは、貼り合わせレンズを使わずにをザイデルの5収差を良好に補正することに初めて成功したアナスチグマットレンズだったのです。
トリプレットの発明以来、多種多様なブランド名でトリプレットレンズが製造されました。
その中の一つが、NOVAR-ANASTIGMATなのです。
NOVARが搭載されたカメラはたくさん見かけるのに情報は乏しく、NOVARを研究している人も誰もいない状況です。たぶん。
NOVARの謎
拙者が初めて手にしたNOVARは、戦前のZEISS IKONで生産されたTENAXに搭載されていたNOVAR-ANASTIGMAT 35mm F3.5 Vです。
これを入手した時には違和感は感じなかったのですが、次に手に入れたIkonta521/16(いわゆるイコンタシックス)のレンズを見た時には「ん??」と思ったのです。
搭載レンズ銘はNOVAR-ANASTIGMAT 7.5cm F3.5なのですが、”NOVAR-ANASTIGMAT”と何故かダブルクォーテーション付きでデカデカと、しかも文字間隔広っ。違和感しかねぇって感じなのでした。
よくよく考えてみるとZeissIkonのカメラなのにレンズ銘板にCarlZeissの文字は無くシリアルナンバーもありません。
何故なんだ?
このレンズ一体ナニモンなんや??
不思議だと思いませんか?
NOVARが付いたカメラはたくさん見かけるのにも関わらず、情報無さすぎなんですよね。
そしてこのレンズの素性を調べる長い旅が始まったのです。
TENAX搭載のレンズはNOVAR-ANASTIGMAT 35mm F3.5 Vです。多分このレンズはNOVARの中で最短焦点距離のものだと思います。通常NOVARが搭載されているのは中判カメラですから焦点距離は75mmほどで35mmカメラ用のNOVARは45mmです。
35mmは他に見たことがありません。
NOVARについて調べてみると
NOVARについてまずは日本語ウィキペディアで検索してみるとカールツァイスのレンズ一覧の中にあります。しかし実際のNOVARにはCarlZeissの文字は無くCarlZeissのレンズには必ず刻んであるシリアルナンバーも無いのです。コレはオカシイ?何故なんだ?
次にcamera-wiki.orgでNOVARを検索してみます。すると「カールツァイス のレンズと間違われることがある」と書いてある。(このことから日本語ウィキペディアの記述は誤りの可能性があります)
もう一言欲しいですなあ。どこの誰が作ったかか知りたいんよ。
調べてみても国内のサイトにはほとんど情報がありません。
なのでまずはZEISS archiveを漁ってみてそこで得たキーワードを基に調べていくと
「Optische Anstalt Saalfeld GmbH(以後OAS)」がNOVARを生産していた様だ!ということが分かってきました。
これを手掛かりに、NOVARの素性を紐解いていきました。
NOVARの源流
当時のドイツのカメラメーカーは合併を繰り返していました。そして合併すると合併前に使用されていたブランド名だけが新しいカメラ会社で使われることがしばしばだった様です。
NOVARというレンズブランドは、1862年創業のドレスデンのカメラメーカーであったHütting(ヒュッティヒ)で使われたのが最初のようです。
ヒュッティヒは他のカメラメーカーと合併し1909年にICA(Internationale Camera Actiengesellschaft:イカ)となりました。そしてNOVARはイカのレンズブランドとして使用されました。さらに1926年にイカを含む4つのメーカが合併してZeiss Ikonが誕生することになりました。
つまり「NOVAR」の源流はカメラメーカーのHüttingにあり、後のツァイス・イコンというカメラメーカーに属していたレンズのブランド名だったということです。カール・ツァイスというレンズメーカーのブランドでは無いのです。
そして、ICAが誕生した1910年ごろからカールツァイス・イエナはOptische Anstalt Saalfeld (オプティッシェ・アンシュタルト・ザールフェルト:OAS)という子会社の設立を計画し、のちにこの会社でNOVARやRolleiflex用のビューレンズであるHeidoskop-Anastigmat が作られることになるのです。
Optische Anstalt Saalfeldについて
Optische Anstalt Saalfeld (オプティッシェ・アンシュタルト・ザールフェルト:OAS)は日本語に訳すとザールフェルト光学研究所でしょうかね。ちなみにザールフェルトは地名です。
ザールフェルトはカールツァイスの所在地であるイエナからザーレ川を南西35キロほど遡った場所に位置する都市です。
当時のレンズの生産には火力発電所から出る煤が悪影響を与えたらしく、水力発電所が建設できる川沿いの都市ザールフェルトに工場を建設することにしたとのことです。
当初1910年ごろ、カールツァイスはザールフェルトにメガネ工場を建設しようとしていたようですが眼鏡はイエナ工場での生産に変更し、ザールフェルトでは中・低価格帯のカメラ用レンズを生産させることに方針転換したのでした。
そして1911年にOASを設立、1912年には土地を取得、1914年にザールフェルトにOASの工場が完成しました。OASの工場は1次対戦中は病院として使われた事もあったようです。
東西統一後1991年、Bernhard Docter氏がJenoptik Carl Zeiss JenaのEisfeld(アイスフェルト)工場と旧OASの工場を取得しDocter Opticを設立しました。
その後倒産などを経てDocterは現在「DOCTER OPTICS」と「NOBLEX」という2つの会社として存続しています。
OAS工場の現在の状況は不明ですが、どうやら新興企業が使用しているようです。
そして旧工場の美しい建物は昔のまま残っているようです。
右側に見える美しい建物が旧OASの建物です。地元ではSaalfeld-ZEISS-Werkと呼ばれていた旧OAS工場付近には、CarlZeiss通り(Carl-Zeiss-Straße)やCarlZeiss橋(Carl Zeiss Brücke)などが整備されており、散歩やサイクリングが楽しめるようです。いつか行ってみたいです。
Zeiss IkonとNOVAR
Zeiss Ikonはイカを含む4つのカメラメーカをCarlZeissが主導して合併させた会社でした。資本の半分以上はCarlZeissが出資したそうです。
てな訳でZeissIkonにはZeissの文字はあるものの、レンズメーカーであるカールツァイスとは異なるカメラメーカーなのでした。カールツァイスの息が掛かったカメラメーカーだったんですね。
ですから、ZeissIkonのカメラには、通常カール・ツァイスのレンズが搭載されているのでしょうね。
戦前のZeissIkonのカメラでは高級機にCarlZeissJenaのTessar、廉価機にNOVARということが多いです。価格差は20〜30%ほどだったようですから販売量はNOVARの方が多かったと思われます。NOVARにCarlZeissJenaの銘は無くNOVAR-ANASTIGMATと書かれているだけでした。
真意は不明ですがCarlZeissのブランドイメージを保護するために子会社であるOASをに大量生産させた廉価版のレンズにはCarlZeiss銘を使わなかったというのが自然な気がしています。
レンズの生産でコストがかさむ原因の一つは、Tessarのように貼り合わせレンズを使うことだと考えられます。当時のカールツァイスでは生産能力が不足していたという記述もありましたから、ブランドを守るため貼り合わせレンズを使用せず費用対効果が高いトリプレットをOASで生産させた。
それによりCarlZeissというブランド名を守りつつZeissIkonはカメラを大量生産できるというのがNOVARがCarlZeissではない本当の理由なのではなかったのかと拙者は思うのです。(勝手に思っているだけで根拠はありません悪しからず)
1930年代に入ると生産能力が上がってきたCarlZeissもトリプレットのCarl Zeiss Triotarを製造するんですけどね。(CarlZeissのレンズシリアルナンバーから生産数を予測して導き出した予想です。そしてTriotarはOASからのOEMの可能性もありますが研究不足で不明です)
ZeissIkon時代のNOVARは、Tessarの下位で安価な代替品として企図されたようです。この製品は、OASによって戦前のZeiss Ikon向けに、戦後は東ドイツのZeiss Ikon向けに大量生産されたようです。
そして1949年以降は、シュトゥットガルトのZeiss Ikon(いわゆる西ドイツのZeiss Ikon)のIkontaにも使用されました。製造番号は刻印されず、メーカー名も表示されていません。
当時の売れ筋商品であったIkontaシリーズの例にとると、TessarまたはNOVARを搭載する2つのタイプがありました。同じボディでレンズだけが違うのです。
Tessar付きにはCarlZeissJenaの銘が入り、より高い価格で販売され、NOVARにはCarlZeiss銘はなく廉価版として販売されました。車の売り方に似ている気がしますね。上位グレードに、付加価値をつけて顧客満足度を上げる手法ですね。NISMOとかSTIとかAMGみたいなw Tuned by CarlZeiss的なw
1960年代半ばの中判ロールフィルムカメラの生産中止に伴い、NOVARの生産も終了しました。
生産量は100万個を超えるそうです。
1961年にベルリンの壁ができる前までは、東西ドイツでの行き来は比較的自由だったそうですが1961年の東ドイツの政策により東ドイツからのレンズ輸入が難しくなった為かもしれませんね。
玉ボケでカルト的な人気のトリプレット達とNOVAR
Meyer Optik Görlitz の TrioplanやTaylor-Taylor&Hobson Cooke Tripletなどの特定のトリプレットレンズは「玉ボケレンズ」としてカルト的な人気が出て急激にプレミア価格となりました。
NOVARも、同様にトリプレットですが、はるかに手頃な価格で入手可能です。
その理由は、交換レンズでは無く固定レンズであるためトリプレット玉ボケカルトレンズに仲間入り出来なかったのでしょう。
しかしフィルムで楽しみたい我々には好都合ですよね。Tessar搭載にに比べれば流通量は多いしCarlZeiss信者は跨いで通るわけですからお安くGETできるわけです。
トリプレット型はテッサー型に比べると周辺の画質が甘いのが難点なのですが、今やオールドレンズを使いたい向きが求める道は高画質ではないでしょう。
癖玉を極めるのがオールドレンズハンターの王道ならば、トリプレットは道を極める近道なのかも知れませんなぁw
写りはどうなのか
まずはTENAXのNOVAR-ANASTIGMAT 35mm F3.5 Vです。
作例が悪くてすいません。トリプレットの特徴があまり出ていませんね。
後ボケは非常に素直ですね。ピント目測ですから近距離にピントを合わせるのはちょっとムズい。この作例では目測ピント成功ですね。
あっさりとした色ノリでよく写りますね。いわゆる素直な写りです。
TENAXはスクエアフォーマットですから楽しいですね。
このレンズはコーティングレンズですが、前玉のクモリが酷く、前玉前面のみ研磨しています。
ですから逆光には弱いと思いまして、試しに太陽をワザと入れてみた例です。
思ったよりは写っていました。
画面の太陽が入らなければ逆光でも意外といけますよ。レンズ3枚しかないですからねw
実はIKONTAのNOVARはフィルムでの試写はまだしていません。すいませんw
ですのでデジカメにマウントしての試写結果をどうぞ。
こちらもあまり良い作例とは言えませが、よく写るんですよ。ボケもキレイですね。
ノンコートレンズですよこのレンズ。
バブルボケは若干出ていますね。しかし、こられの作例は60x60mmをカバーするレンズの中心部の36x24mmだけを使っているのですから、実際の写りとは言えませんのでそこはご了承ください。
虹ではありませんよ。フレアです。でも虹みたいにキレイに出ますね。コレはノンコートならではだと思いますね。近いうちにフィルムを入れて試写してみますね。
如何ですか?
NOVAR付きのZEISS IKONのカメラをGETして、OAS製のトリプレットを味わってみては?
あとがき
最後まで読んでいただき感謝です。今回のNOVARの源流を探る旅はなかなか大変でした。間違いもあるかも知れません。
しかし、謎が解けたのでスッキリしました。
NOVARに限らずトリプレットを使ったことがない人は一度使ってみることをお勧めします。
独特の写りに虜になっるかも知れませんよ。
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