ジャンカメハンターのぐりやんです。パーレット生誕100周年おめでとう。
ってことで、本日の獲物は100年前の古典カメラ、大正十四年式の六櫻社のパーレットなのでございます。

ちなみに大正14年は1925年です。今年は2025年ですから100年前のカメラって事になるわけですね。私が所有しているカメラで最も古いものは「No.2 Folding CARTRIDGE PREMO」(1916)ですから、今回入手した初期型パーレット(1925)はそれに次いで2番目に古いカメラとなり、国産カメラとしては最も古いものという事になります。
六櫻社パーレットとVPK
ロクオウシャと聞いても「なんでっか??」って感じでしょうが、ざっくり言えばコニカミノルタの前身という事になります。その創業は1873年(明治6年)に遡り、小西屋六兵衛店という屋号で写真器材の取り扱いを開始したのが始まりだったそうです。

1903年(明治36年)には「チェリー手提用暗函」というオリジナルのカメラを発売開始します。そして1929年にはさくらフィルムを発売し1936年(昭和11年)には小西六本店となりました。その後、1987年(昭和62年)に会社名をコニカに改称し2003年(平成15年)にコニカミノルタとなりました。六桜社は1902年に小西屋六兵衛店が開設した工場の名前だったそうで1903年から製造されたカメラには六櫻社(Rokuoh-sha)銘が刻まれています。当時の広告を見ると製造元:六櫻社 発売元:小西六本店という表記を見る事ができます。
六櫻社から発売された初めてのカメラは上で記したとおり1903年発売の「チェリー手提用暗函」だったわけですが当時はまだ写真フィルムというものが一般的ではなく写真乾板(ガラスの板に感材を塗ったもの)が使われていました。現在でいうところの「写真用フィルム」が登場したのは、1989年アメリカのイーストマンコダックからNo.1(ロールフィルム)が発売されたのが最初だったらしいですが、カメラが普及し始めるきっかけとなったブローニーカメラが発売されたのは1900年でした。ちなみに120フィルムは1901年、135フィルムは1934年に発売開始されました。国産初のロールフィルムでありました「菊フィルム」が発売されたのは1928年(昭和3年)になってから、小西屋六兵衛店の「さくらフィルム」が発売されたのは1936年(昭和11年)になってからでした。
時代が前後しますが1912年にイーストマンコダック社から127フィルムとベストポケットコダック(以後VPK)というカメラが発売され世界中で大ヒットしました。このカメラは我が国にも大量に輸入されたようで国内でも大ヒットしベス単(ヴェス単)と呼ばれ愛されたのです。ちなみにVPKには単玉(1群2枚)の廉価版と複玉と呼ばれた2群以上のレンズを有する物があったのですが廉価な単玉付きのものがベス単と呼ばれました。そしてVPKをリスペクトして作られたのが六櫻社パーレットで発売は1925年(大正14年)でした。
後にベス単フードはずしという手法が編み出され「ソフトフォーカスといえばベス単」と言われるようになったとか、ならなかったとかw
パーレットの歴史と種類
大正14年(以後T14):(1925)発売の初期型パーレットではアメリカ製のレンズとシャッターを搭載していましたが、昭和7年(以降S7):(1932)頃から国産のレンズとシャッターを搭載した通称虎マスクと呼ばれるタイプになったそうです。S8(1933)頃から製造されたモデルでは旭光学(後のPENTAX)製のレンズを搭載したものや、1937年には後にコニカの名レンズとして有名となり高級カメラの名前としても使われる事になったHexar銘のレンズを搭載した高級パーレットなどが発売され、その生産はS22(1947)まで続いたと言われています。大正15年=昭和元年
歴代パーレットは基本的に固定焦点(ピントが固定で調整できない)で発売当初の搭載レンズは、単玉(メニスカスアクロマート:MA:色消しレンズ:1群2枚)のものと複玉(デルタス・アプラナート:DA:2群4枚)のものがありました。その後シャッターが国産化された頃からレンズも国産のモノに変更された。ヘキサーは六櫻社製でその他ZION、OPTAR、単玉は旭光学製だったようです。
発売当初はブリリアントファインダー(反射ファインダー)のみを搭載していましたが、1929(昭和4年)から金枠ファインダーが同時搭載されるようになり、それに伴いポートレートモードが廃止されて金枠に近接レンズが搭載されるようになります。近接レンズ搭載以前のものはジャバラを標準状態からさらに引き出す事によりポートレート撮影ができるギミックが組み込まれていました。
フィルムの装填については初期では側面の蓋を外してフィルムを装填する方式でしたが、昭和8年(1933)以降は裏蓋開閉式に変更されました。(その後もフィルムの平面製を上げる改良が施されていくことになる)その他細かい点が色々と変更されているので興味がある方は調べてみてほしい。
ちなみに今回入手したものも含め拙者所有のパーレットは
Pearlette(1925) Deltas Aplanat(DA)付き
Pearlette(1940頃) Optor付き
LuxuryPearlette(1940頃)Hexar付き

の3台となった。
大正一四年式パーレット(複玉)
今回入手したパーレットは初期型の値段が高い方(複玉:DA)で、定価は25円だったそうだ。ちなみに、安い方(単玉:MA)は17円だったそうである。最初期型では前板リベットの位置が異なっていたらしいがその特徴はないので、最初期型ではないようだ。
大正14年式(1925)と言える点は、搭載されているWollensak社製のWocoシャッターにTポジションがあるという事なのである。昭和3年式からはTではなくBに変更されたようだ。しかし昭和3年式一部ではBはTという文字に書き足したような文字となっているそうで、これが一番レアな気がしている。
昭和4年式からはちゃんとしたBという文字になったそうだ。

初期型パーレットの搭載レンズは2種類で、単玉と呼ばれる75mmF11のものと複玉と呼ばれる75mmF6.8のものがあり、単玉の方はU.S絞り(ユニホームシステム)なのでちょっと使いにくそうだ。複玉であるDeltas Aplanat付きはF値表示なので幾分使いやすいと言えるだろう。
レンズ銘はウォーレンサック デルタスアプラナート(Wollensak Deltas Aplanat:DA)となっておりおそらく2群4枚構成のアプラナートだと思われる。(分解検証の結果、間違いだと判明)シャッターはWollensak Woco No.0となっており、T.25.50.100が選択できる。
偶然ある文献で以下の内容を見かけたので忘備録も兼ねて書いておこうと思います。
大正14年(1925)海軍艦政本部は六桜社に対し写真銃の製作を命じた。搭載レンズは国産を期待していたが納入された物には外国製のレンズが付いていた。(一五式写真銃時計附)これをきっかけとして小西六でレンズの研究が始まり、昭和2年頃より開発に着手、昭和6年にHexar105mmF4.5を完成させた。
初代パーレット(アメリカ製輸入レンズ)が発売された大正14年(1925)に六桜社でレンズの研究が始まり、6年後の昭和6年(1931)にHexarが完成、昭和7年(1932)からはPearletteにもHexar Ser.ⅡF6.3が搭載されたのである。昭和10年頃になるとHexarの性能は向上してテッサーにも劣らないという評価を得るまでなったそうで、Hexarは戦前の国産レンズとしてはトップクラスの性能と信頼を受けていたことが伺える。確かにHexar Ser.1を搭載した高級パーレットの写りは素晴らしかった。
ちなみに「一五式写真銃時計附」がどのような物であったかは定かではないが、初期のものはドイツ製(Tessar)およびWollensak製のレンズが使用されていたようだが途中でHexarに変更されたようである。使用フィルムは120で撮影フォーマットは6x6だったようだが、付属の時計を使用して時間を同時記録するため実際の撮影フォーマットは6x4.5で残りの部分に時間が記録されるようになっていたようである。一般に旧海軍の写真銃とは機関銃の代わりに装備して射撃訓練の判定や記録に使われたものらしいが、「一五式写真銃」はその後、かの有名な「八九式活動写真銃改二」の基となったと想像できる。
閑話休題
ファインダーはブリリアントファインダー(反射ファインダー)と呼ばれるモノが搭載され、金枠ファインダーと近接レンズは付いていない。ただしジャバラを繰り出してピントを手前に持ってくる事ができポートレートモードを搭載し近距離での撮影も可能となっている。
あとがき

今回は気がついたら手元にあった初期型パーレットのお話でした。
パーレットに関してとても造詣が深いK氏からの書き込みがございまして、わたくし的にもさらに研究していたところ、いつの間にやら気絶して手元にあった100年前のパーレットです。
以後、このカメラを使える状態まで持っていき写真を撮ってみたいと思います。
100年前のカメラでどんな写真が撮れるのか楽しみで仕方がありません(状態が悪しぎるので心配ではあります(^^;;)
色々と書きましたが間違いがありましたらご指摘のほどよろしくお願い致しますw
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